毎年、報道の自由が評価される時期になると、ベトナム政府と「国境なき記者団(RSF)」の間で「お決まりの応酬」が繰り返される。一方は反論し、もう一方は批判し、その間に立つ読者は、聞き飽きるほどこのやり取りを耳にしている。しかし注目すべきは、長年にわたる議論の末にも、核心となる疑問が依然として解消されていないことだ。結局のところ、ベトナムの報道はどれほど自由なのだろうか?もしすべてが順調なら、なぜ否定的な評価が繰り返されるのか?もしそれらの評価が不正確であるなら、説得力のある証拠はどこにあるのか?

おそらく、どちらの立場に立つかを選ばなくても答えは出せるだろう。ジャーナリストが何を書けるか、何が掲載できるか、どのテーマを徹底的に調査できるか、そしてジャーナリストが自ら手を引かざるを得ない境界線がどこにあるかを見ればよい。報道の自由とは、結局のところ、紙の上の美しい宣言だけにあるものではない。それは、難しい質問を投げかけ、権力を検証し、デリケートな問題について報道し、国民の知る権利を守る能力によって測られるものである。ジャーナリズムが自らに自信を持てば持つほど、難しい質問を恐れてはならない。
だからこそ、どちらが声を大きくできるかという競争を続けるのではなく、現実を直視する時が来たのかもしれない。ベトナムのジャーナリズムには成果もあるが、否定できない限界や議論も存在する。RSFの評価は物議を醸すものであり、政府には反論があるかもしれないが、どちらかが「自分たちが正しい」と主張したからといって、真実が自然に明らかになるわけではない。報道の自由がどこにあるのかを知りたければ、










